「大志塾だより」 49号

心は常に大を志向せよ!
「以武会友」武道を以て友となす

我々が追究する武道空手の本質とは

「道」・究極の術技をもとめて 第4回

  
 型に於いて頻度の高い個々の技を抜き出し、技を徹底して深く掘り下げて、技の原理原則を学び、技に熟達する為に行うのが基本・移動基本稽古であります。
 また、相対して攻防に必要な間合い・間・読み・入射角度・機会・気当り・呼吸など諸々の基本的原則を学ぶのが基本組手・約束組手などの型分解であります。
 前者は「極めのある技を創る」稽古であり、後者は「極めのある技を使う」稽古であります。
そしてそれぞれに磨きをかけ質を高めるべく繰り返し稽古鍛錬するとともに、より使用に適するよう、
応用基本・応用組手の稽古により自由組手へと繋げるのです。
空手協会では、この様に古より伝承されてきた「型」を根幹として生まれた技術体系・稽古体系・指導体系など一連の流れの中に「一本勝負」という試合が位置づけされています。
その為、普段の道場に於ける稽古と試合ルールとの 乖離が少なく、武道性を保持したまま一貫して学び、身に付けることが出来ます。
この様な過程をくり返し循環、稽古を続けることにより「型」からつき出た自分独自の「形」へと変化し、やがては「形あって形なし」と言う、心身共に「自由」な境地へと達するのではないでしょうか。

型→形→自由

これは、柳生新陰流で言う「三磨之位」、習う・稽古・工夫、この3つの位が円の様に循環、鍛錬する過程に於いて、相互に作用しあいながら、技と心が磨かれると言う事であり、守・破・離にも通じる事と思います。
(社)日本空手協会首席師範 杉浦初久二先生は・・
「極めを創るための鋳型の型に自分の血を通わせたものが自分の形である。」と言われており、型から形への過程こそが重要であって生涯を通じて理想の術技を求める日本独自の伝統的修行法に人間形成としての武道空手本来の役割、目的があるのだと想います。
現在、各競技団体が採用しているスポーツ制を重視したポイント競技に於いては「一本勝負」における技の「質」「完成度」よりも「得点」「結果」がより重要であり、より早く競技力を向上させ勝利を得るには、上記の様な「型」を根幹とした武道空手の技術体系・稽古体系・指導体系では、ポイントルールとの乖離が大きく不都合が生じます。
そこで競技→コンビネーション→打ち込み→スパーリング→競技(勝利)
この様に「まず競技ありき」で競技を主体とした合理的、且つ確実に勝利する事を目的とした練習体系、トレーニング方法が必要となるのです。
つまり、ルールに適した技、有効なる戦術を分析、研究して競技という限定された枠の中で、ルールを最大限に利用して「どうポイントを稼ぐか」「どう勝利するか」が最も重要な目標となるのです。(相手の反則も含め)
これは格闘技性を重視した競技ルールを採用している空手も同様です。
日本武道の「伝統性」「文化性」を重視するのか、スポーツ空手の「合理性」「競技性」を重視するかによって、その理念、哲学、目標が大きく異なり当然として普段の道場に於ける稽古方法、質、内容に於いても異なるとともに心のあり方まで変わってくるのです。
競技団体だけでなく、武道空手を標榜する伝統的な諸流派の多くも゛この以て非なる〟両者を形成する構造の異質を認識していないためにか、大会ではポイント制のルールを採用しており、競技全盛の今日、道場での稽古も競技で勝利することが最大の目的となり武道の本質から離れ、益々スポーツ化されるでしょう。
長い歴史と伝統に培われて来た「型」、この「型」より醸し出される各流派独特の動き、技・・
本当に大切なものは何か?未来に伝え残すべきものは何か?武道の国際化とは何か?稽古を続ければわかるはずですが?

「一本勝負」に、より必要な要素

  間合い・間・読み・呼吸・拍子・虚実・機 

  ↑

  パワー・スピード・スタミナ・リズム・タイミング

「ポイント制」に、より必要な要素

  間合い・間・読み・呼吸・拍子・虚実・機
         ↓
  パワー・スピード・スタミナ・リズム・タイミング

一言・・

技を習うことが心を学ぶことである。
一本一本夢中になり、心を込めて修練する事により技の質、内容が向上する。
その過程に於いて同時にそれを使う人の心のあり方、人そのものが向上する。
また、人そのものが向上しなければ技の向上もないのである。

 心身一如

ツオン・ダイエー

第50回 東京都空手道選手権大会


  
 去る11月24日(祝日) 駒沢体育館に於いて「第50回東京都空手道大会」が行われました。
今年度、最後の試合となる今大会はみんな気迫があり、頑張っていました。
日頃の成果をうまく発揮できた人、緊張して出せなかった人、色んな人がいると思いますがこの大会を
ステップにして、来年さらに上を目指し頑張りましょう!
大会結果は下記の通りです!    

高校・一般男女 中級 形の部 準優勝  佐々木 彩

高校・一般女子 中級組手の部 準優勝  佐々木 彩

高校・一般男子 上級組手の部 準優勝  山本勇気  ・ ベスト8  井守政一

一般男子A 上級形の部    第3位  オリヴァ・ヴィッテ

一般男子A 上級組手の部   準優勝  藤條純樹
                第3位  亀井 高
                ベスト8 オリヴァ・ヴィッテ

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選手の皆様、お疲れさまでした。

第8回熟練者大会


 去る11月29日土曜日、国立オリンピックセンターに於いて熟練者大会が開催されました。
この大会で泉田多重支部長が50歳以上男子組手の部で第3位となりました。
(その強さは引き立っていました)
また、青木裕雅選手・塗谷恵選手が東京都の団体戦メンバーに入り健闘しましたが、団体戦男子は千葉県との決勝戦で敗れ、惜しくも準優勝・団体戦女子は3位決定戦で敗れ、惜しくも4位となりました。
伊藤克巳選手も上段突きが炸裂し、ベスト16まで行きましたが惜しくも敗退してしまいました。
来年は大志塾からたくさんの熟練者が出場できるよう身体に鞭を打ちながら稽古に励みましょう! 
男性40歳以上・女性35歳以上です。

WKF世界大会

 
 志水先生は大会4日目の最終日、男子組手80kg超級にエントリー、今大会で世界大会4連続出場となり、国際大会の経験豊富で多くの期待をかけられた試合であったが、1回戦でチュニジアのモハメド・ジョマー選手に3ー5で敗退、このクラスは大柄な選手も多く、また日本代表協会王者というプレッシャーの為か実力を発揮できぬ間に終わってしまい残念な結果となってしまった。
来年9月には日本武道館に於いて協会の世界大会が開催される。志水先生の活躍に期待しよう!

ベスト空手・・


 今までにこのシリーズで「突きのコース」「肩の使い方」「スピード」「力の集中」「前腕のひねりの効果」「腰の回転」「丹田と腰」「前屈立ち」「打ち技」「エンピ」等を取り上げてきましたが、今回は「蹴り技」を取り上てみたいと思います。

蹴り技を極めるには、片足で身体を支えバランスを取ることと、蹴った瞬間大きな衝撃にたえなければならないことであり、支持足の足首を柔軟かつ適度に固め、足底全面でしっかりと床面に吸い付いて、しなやかでしかも強靱に立つことが求められる。
蹴るときは足で蹴るのではなく、全身を用いて蹴ることが重要であり、腰の使い方が大切である。
また蹴った足は迅速に引き戻して、相手にすくわれたり捕まれたりするのを防ぐとともに、いつでも次の技を繰り出せる様にしなければならない。
蹴り技の威力は蹴る足の弧の長さ・速度・姿勢・重心の移動・バランス・膝のスナップ、特に膝を伸ばすタイミングによって決定される。
よく稽古して体得するように・・ つづく


日本、その姿と心

 現在、国際化が進み外国からの情報が大量に流入していますが、我々日本人は日本の伝統・文化などの知識を持っているでしょうか?真の国際化(人)と言うのは、自国の文化・伝統を理解した者同志がそれぞれの自己主張とその相互容認の上に成り立っていると思っています。
これからも、外国に対しての認識を深めると共に、外国の人々にも日本を理解してもらう為に、自国の文化歴史を学ぶ必要があると思います。そこで、第二二回は「北方領土」を見てみましょう。

第二二回「 北 方 領 土 」 第六回

 なぜ、どのようにして我国国有の領土である北方四島が占領されたのか大志塾の皆様はご存知でしょうか?

 終戦までオホーツク海域で樺太の北半分を除く自然の豊かな地域は日本領でありました。しかし、太平洋戦争終了後の1951年9月8日のサンフランシスコ講話条約で、千島列島並びに樺太の南半分、及びこれに近接する諸島の権利と権限、請求権を放棄するように規定されたのです。
しかし、この場合千島列島の中に北方四島は含まれていないし(前々号参照)日本が権利、権限を放棄させられた後に、その地域をどこの国に帰属させるかということ(講和条約 第2条のC項)について条約では全くふれていないのです。
また、当時のソ連はこのサンフランシスコ条約には調印していないのであり、四島の占領は完全に侵略であり、国際法的にもロシアの領土と言われる根拠は全くないのです。また私は歴史的にも地理的にも樺太と千島列島は日本の領土であり四島だけではなく、これらも取り返さなければと思っています。   つづく・・

   

武道学入門・・兵法家伝書 新シリーズ 第6回


 
「病気を気にせぬ心の修業」

(病気とは固定した思いである)→前号参照

仏法に於いては、とりわけ固定した心を嫌う。心を固定させぬ僧は、世間のチリの中にあってもこれに汚されず、何事をしても自由で心を囚われる事がない。
いずれの道を極めた人に於いても、その技術から固定したものがなくなるようでなければ、名人ということは出来ないのである。 「型」→「形」→「自由」
磨いてない原石にはチリやほこりが付くものだが、磨きぬいた玉はたとえ泥の中にあっても汚れない。
修行によって心の玉を磨きぬき、それに染まらぬようにした上で、病気のことなど気にかけず、心を自由に解き放っていきたいようにすればよいのである。
(松涛20訓 心を放たんことを要す)