「大志塾だより」 48号
「以武会友」武道を以て友となす
去る7月8日(日)日本武道館に於いて開催された「内閣総理大臣杯 第51回全国空手道選手権大会」で、志水先生が個人組手の部に於いて見事2度目の優勝を勝ち取りました。
今大会1回戦より圧倒的な強さと冷静さを発揮し勝ち上がりましたが、特に上段への裏拳打ちは相手が反応できない程の速さで、多くの人が技の完成度の高さに驚きを隠せないようでした。
また、猪越指導員との間で行われた決勝戦は、歴史に残る名勝負であったと思います。
しかし、今年は11月に開催される全空連主催の世界大会、全日本大会(昨年準優勝)に出場が決まっているので、気を抜くことなく優勝目指して頑張ってもらうと共に、皆さんのさらなる応援をよろしくお願い致します。
7月9日(月)朝刊より・・
長身に無精ひげ。古武士のような風貌の28歳。兄姉の影響で6歳から空手を始め、京産大を経て、現在は本部道場の師範を務める。昨年の全空連全国大会で2位。実力がありながら優勝に届かないことが多く、分析すると、「己への甘さ」に思い当たった。今大会では、それを克服するため「克己」をテーマに掲げ、見事、2度目の栄冠を手にした。
次の目標は11月に行われる全空連主催の世界大会。
志水は日本代表として、また、武道空手を重視する日空協の日本王者の"2枚の看板"を背負い世界の頂点を狙う。
ここへ空手の試合で来たのは、極真会館の第四回世界大会以来だ。
アンディ・フグの登場、あれから20年以上が経ったのか。
いわゆる伝統派の試合を観たのは生まれて初めて。
だが、驚いた。顔面に突きがバンバン入っている。
しかも、反則ではないようだ。
あれ?寸止めじゃないの?
日本空手協会の組手は超フルコンタクトだった。
数多くの選手達の中、圧倒的なオーラを感じたのが志水亮介選手。
立ち方、構え方からして段違いの風格。
ああ、この人は強いなあ。
どんなルールの試合でも通用する普遍的な強さを感じた。
ついつい、自分の目が映画のカメラになる。
オーラに引き寄せられるようにカメラが動くのだ。
別件があったため、最後まで試合を観ることは出来なかったけれど、志水選手が優勝するのだろうなあと直感的に感じる。ルールも、選手達の名前や経歴も全くわからない僕だけれどそう感じた。本物の強さは、競技やルールに関係なく伝わってくるものだ。
去る6月20日(金)~22日(日)まで、緑豊かなエアロビクスセンターに於いて・・
2008年大志塾キャンプを開催しました。
今年は「白帯・色帯クラス」「茶帯クラス」「2・3段受験クラス」「黒帯型クラス」「指導員クラス」に分かれ、75名の参加者を得て空手三昧を楽しむと共に、今年は別時間に「組手クラス」を設け、
それぞれ技術の向上に励みました。
また、今年は朝のクラスで呼吸法を稽古する予定でしたが、皆さんの普段の行いが良い為か?
3日間に渡り雨に降られ、朝のクラスは結局1回も行う事が出来ませんでした。
しかし、それをふっ飛ばすように今年の納会は超盛り上がりました。
例年恒例の各国(ドイツ・フランス・イギリス・日本)の歌に続き、本当に突然・・泉田支部長・リチャード・マイケル各塾生による、かくし芸が始まり、場内 爆笑の渦に巻き込まれました。アンコールも行われ、皆さんの心にまた新たな想い出が出来たことと思います。2泊3日と短い合宿ですが、少しの技術向上と共に各大志塾塾生の親睦に大いに貢献できた合宿だったと思います。
また、来年も皆様と共に楽しい合宿にしましょう。押忍
現在、国際化が進み外国からの情報が大量に流入していますが、我々日本人は日本の伝統・文化などの知識を持っているでしょうか?真の国際化(人)と言うのは、自国の文化・伝統を理解した者同志がそれぞれの自己主張とその相互容認の上に成り立っていると思っています。
これからも、外国に対しての認識を深めると共に、外国の人々にも日本を理解してもらう為に、自国の文化歴史を学ぶ必要があると思います。そこで、第二一回は「北方領土」を見てみましょう。
日本政府はその後、事件の重要な証拠物件として拿捕された漁船の返還を強く求めてきました。
ところが、ロシアはこれに無視を決め、なんと国営の企業に譲渡してしまいました。
同漁船には衛星利用測位システム(GPS)も搭載されており、その時漁船がどこにいたかを、ロシア側は隠ぺいを図ってやったことだと思います。(絶対に!)
そもそも、事件が発生した北方四島周辺海域は日本の領海であり、漁船に乗っていたその他の乗員三人も国後島に長い間拘留された上、罰を認めさせられ多額の罰金まで取られる根拠は何もないのです。
はっきり言って日露間にはまだ国境線も決まっていないのです。 つづく・・
習った技を一途に使おうと思うのも病気。 鍛練の成果をあらわそうと一途に思うのも病気である。
積極的にかかって行こうとばかり思うのも病気、待ちかまえていようとばかり思うのも病気である。
こうした病気をなくそうと一途に思い詰めるのも、また病気である。
いずれにせよ、心が一途に固定してしまった状態を病気というのである。
この様な病気は、すべて自分の心うちにあるものだから、これらの病気をなくす為には心のコントロールが必要となってくる。
習をはなれて、習にたかわず、心を捨て去り無念無想の境地を目指す。
「型」は先師が遺したすぐれた伝承システムであり、その流派の思想・術理を体現する為の設計図とも言えると思います。ですから型の動きに、その流派の特徴が強く現れます。
例えば、松濤館なら技の「極め」を重視し直線的でスピードと力を合わせ持ったダイナミックな動きが特徴的です。剛柔流は接近戦を得意とし、小さな動きで大きな力を生み出す為の円運動と呼吸法が特徴的です。
糸東流は無駄な力、必要以上に大きな動作を行わずシャープでキレのある動きが特徴的です。
和道流は、流す・乗る・往す等、力で対抗せず体でさばき、相手の力を利用して攻撃する防御、即攻撃に特徴があります。
この様に、その流派にはその流派が理想とする動き、身体運用というものがあるのです。
例えば上げ受け一つ取り上げて見ても、松濤館は相手の上段攻撃を腰の回転で下から相手の腕を跳ね上げるように打ち付けて受ける。
糸東流は(突きの要領で)上段ナナメ前方へ拳を回転させながら突き出し、相手の攻撃をそらす様に受ける。
和道流は受け手を内捻させて、相手の攻撃を後上方へ受け流す様に受ける。
この様に術理に違いがあるので、身体の動きにも微妙な違いが出るのです。(引き手の高さ、位置もそれぞれ違います。)ですから修業を重ね、その流派の動きを正確に身に付けている人が、少し動いただけでも、だいたい何流をやっているのかは分かったものでした。(その流派独特の雰囲気があった)
しかし最近では、スポーツ空手競技が中心になり「型専門選手」が現われ、本来各流派が持っている術理などは、まったく理解できないまま、1回戦は剛柔流の「型」で2回戦は松濤館の「型」で、次は糸東流の「型」で演武(競技)をする選手が国外でも国内でも多く見受けられます。各流派の特徴を理解し演武するのではなく、体操競技のような動きで統一され、武術的な各流派本来の身体操作、運用は知りませんしまったく行われていません。
それどころか「型」を勝手に改変し、観客に受けるよう見栄えする派手な動き、パフォーマンスに走っているのが現状であり、今後ますますこの傾向は強くなっていくでしょう。 つづく・・
その後も類似の事件が続発しており・・
いつ、誰がどこで事件に巻き込まれるか、わからない状況です。こんな状況の中でも、町を歩いていると多くの日本人は平和ボケというか、常時「気」の抜けている状態の人が多く見受けられます。「気を張る」「気を配る」という様なことはなく、周囲に対してまったく「気」を使っていない為に、何事にも「気が付かない」人が多いのです。
ですから、電車を待つ間も並べない。1人分の座席に座れない、音楽がうるさい、大きなリュックを背負ったまま・・・等々をあげたらきりがない程、他の人・周囲に気を使っていないのです。これでは、周囲の異変・身の危機に気付くわけがないのです。
絶えず周囲の状況や様子に気を使っていれば、何かの異変・危機にいち早く気付き、その場に於ける最良の対処ができるのです。
もし、早く気付くことが出来れば、お年寄りや女性・子供等をいち早く、安全な場所に避難させたり、警察を呼んだり、何か武器になる物を確保するという事も可能なのです。
「松涛二〇訓」に「災は懈怠に生ず」とある様に、何事にも気を使わず、注意力をおこたっていると危機に直面した時に適切な判断、行動が出来ないのです。(自然現象に対しても)
我々道場に於いては、当たり前ですが・・一歩外に出ても常に気を抜かないよう、気を付けなければなりません。
見えない物を観る、聞こえない物を聴く、この様な能力を高めるのも武道修業によって成されるのです。