[ブログ] 空手を始めて13年。なぜ、62歳になった今でも続けているのか?
※この記事は、一般部で稽古を続けている62歳の生徒さんが寄稿してくださいました。
「空手」と聞いて思い浮かぶのは、「突き」や「蹴り」の激しいぶつかり合いかもしれません。対人での技の応酬、痛みや恐れに耐える修行――そんなイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。けれど私が通っている空手道場・大志塾の稽古は、そのようなものとは少し違います。
大志塾では、稽古の約半分が足腰を安定させるための「基本稽古」、次に「型」の習得、そして対人練習である「組手」はごく一部です。

しかも、対人といっても、初級や中級の段階では「約束組手」といって、あらかじめ動きを決めて安全に進めるもの。動画で見るような激しい「自由組手」は、相当な経験を積んだ上級者に限られています。
私は13年前に49歳で入門しました。
当初の動機は「健康のために軽い運動でも始めようか」というごく一般的なものでした。特別な武道経験があったわけでも、強くなりたかったわけでもありません。しかし、現在62歳。今もなお、週に数回の稽古に通い続けています。
では、なぜここまで空手を続けてこられたのでしょうか?
稽古を続けていく中で見えてきたのは、「人とのつながり」と「学びの喜び」でした。
稽古の中で、仲間と声をかけ合い、動きを教え合い、一緒に汗を流す。そして稽古が終わった後、年齢の違う仲間たちと食事をしながら何気ない会話を交わす。

そうしたひとつひとつの時間が、「ただの運動」ではない空手の価値を、少しずつ私に教えてくれたのです。
稽古で技を覚えることも、もちろん大切です。けれど、私にとってそれ以上に大きかったのは、「誰かと一緒に学ぶ」ということでした。
空手の稽古は、自分の心と向き合う時間でもあります。
技を覚える過程で、自分の癖や弱さに気づいたり、人に教える中で確信を持てたりする。そしてそのプロセスを、一人で黙々とやるのではなく、仲間と一緒に歩めることが、心の安定や生きがいにつながっていったのです。
この大志塾では、「一人で頑張る」のではなく「皆で学ぶ」ことが当たり前の文化になっています。
年齢も性別も関係ありません。
園児から80代の方までが稽古を共にし、それぞれの課題を共有し、応援し合う。そうした空間の中で、私も次第に「続けることが自然になった」と感じるようになっていきました。
また、道場の雰囲気そのものが「他者を尊重し、無理をしない」スタイルであることも、継続を後押ししました。

威圧し怒鳴るような指導はなく、中師範も仲間も「自分のペースでやっていけばいい」と見守ってくれる。だからこそ、失敗や年齢を気にせずに挑戦できる。こうした“穏やかで健やかな居場所”としての機能が、空手という武道の枠を超えた意味を生み出していたのです。
空手を続けることで、日々の生活にも変化がありました。姿勢が良くなり、体調も整い、何より「心が前向きになった」と感じることが増えました。
週に数回、道場に足を運び、仲間に会い、学び、教えられ、感謝する。こうした体験が「自分にはまだできることがある」という自己肯定感にもつながっていました。
空手は、ただ強くなるためのものではありません。誰かと一緒に、自分を少しずつ成長させていく。心も体も、年齢を問わず育てていける。そんな「続けたくなる仕組み」が、大志塾の中には確かに息づいています。
気がつけば、もう13年。辞める理由が見つからないのです。
気づけば、空手は私にとって、なくてはならない日常になっていました。

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